音速の貴公子~アイルトン・セナ~

音速の貴公子と呼ばれたF1の名ドライバーの、アイルトン・セナが1994年にイタリアのイモラで開催されたサンマリノグランプリで5月1日に34歳という若さで事故死しました。アイルトン・セナがもし生きていたら50年という生誕50年を記念して、「アイルトン・セナ」団体の公認を得てイギリスで製作されたドキュメンタリー映画が『アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ』です。

1980年代から1990年代前半のF1の歴史に名前を刻んでいる名ドライバーとして天才ドライバーの代表でもあった『アイルトン・セナ』は、母国ブラジルはもちろんのことイギリスのF1雑誌でも「史上最速のF1ドライバー」そして「史上最高のF1ドライバー」でも1位に選出された天才ドライバーです。セナが誕生して50周年を記念して製作された『アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ』では、セナの34年間という人生をセナの肉親そして関係者の証言も含めて、秘蔵映像で振り返ったドキュメンタリー映画です。

アイルトン・セナ・ダ・シルバ

アイルトン・セナの本名はもっと長くて、アイルトン・セナ・ダ・シルバです。誕生したのはブラジルのサンパウロで1960年3月21日に誕生しました。天才と言われるドライビングテクニックで天才を意味するGeniusだったりマジック・セナとも呼ばれましたが、若手時代には「ハリー」という愛称でも呼ばれていました。私たちに一番馴染みあるのは、やはりF1実況中継の時の「音速の貴公子」でしょう。「音速の貴公子」と読んだのは、すっかりニュースステーションのキャスターの顔となった古館伊知郎です。

生い立ち

サンパウロはブラジルの最大の都市で、そしてセナは裕福な地主でもありブラジル国内で有数の多角経営を行っている経営者の父親ミルトン・ダ・シルバの長男として誕生しています。裕福な家庭の元に生まれたセナは4歳の時に、父親からレースカートを与えらるとセナ少年はすぐにレースカートに夢中になります。そしてレースカートに夢中になる子どもの中のひとりではありますが、セナには加えて生まれつきの才能もありました。

そして家も裕福な家庭ということに加えて、家業のひとつには自動車修理工場などもあったことから、セナのレースカートのドライビング技術の向上には実家の環境も大きく影響を与えました。なんでもセナがまだ8歳の時には、自動車修理工場にあったスクラップ寸前のジープをなんとクラッチを使わずに走らせたという逸話も残っているほどです。少年時代のセナはとにかくレースカートに夢中の少年ですが、学業の成績に悪影響を及ぼせばレースカートはやめること。というルールの中で、大好きなレースカートに没頭するために、学校の授業ではものすごい集中をして授業に望んでいました。

なぜなら、授業中にしっかりと集中すれば家で勉強することが少なくすむので、その分だけ大好きなレースカートの練習することができるからです。「好きこそものの上手なれ」ではないですが、寝ても冷めてもとにかくレースカートが大好きで大好きな様子だった少年時代を送りました。

今日も彼は誠実だった

ドキュメンタリー映画の「セナ~音速の軌跡~」冒頭で、アイルトン・セナの母親が「今日も彼は誠実だった」という言葉を述べます。セナの人物像をよくあらわしている言葉だと思います。4歳でレースカートに出会って13歳になるとレースでデビューを果たして南アメリカのカート選手権を制したのは1977年です。その翌年にはイタリアカートメーカーと契約まで果たしているので、着実にカートレースで成績をあげていきます。

プライベートでは1980年のシーズンオフに、幼馴染のリリアンと結婚しています。結婚前後あたりから資金をセナ自身が調達するために、いろいろな各メディアに登場してPR活動を開始しながら、カートレースに出場しています。表彰台で2位を獲得したのは、「CIK/FIA世界カート選手権」でのことです。そして日本へも日本国内のカートレース最高峰「ジャパンカートレース」に参戦して4位に入賞を果たしたりと、1982年までカートレースでのキャリアを築き上げていきました。

結婚した翌年の1981年にセナはヨーロッパへ渡り、イギリスで名門レーシングスクールのジム・ラッセル・レーシングスクールでドライビングテクニックを学びます。イギリスではフォーミューラー・フォード1600に参戦して優勝を果たしますが、レースをするにはお金がかかります。実家がブラジルで裕福な家庭ではありますが、父親との約束とレース活動資金が不足してしまったこと受けて、引退を決めてイギリスから引き上げてブラジルへ帰国しました。

作品中の中でセナがときおり話す言葉があります。レースに必要なのは「お金と政治」という言葉が印象的ですが、ブラジルのセナの実家はまちがいなくブラジルでは富裕層に属しています。ブラジルでは富裕層に属していながらも、レースを続けることの難しさをイギリスからブラジルに帰国したことで物語っています。そしてセナの母親が話す「今日も彼は誠実だった」という言葉。もっと貪欲に政治力を発揮して資金を集めることよりも、誠実であることを選ぼうとしたセナの姿を感じ取ることができます。

イギリスからブラジルに引き上げたセナでしたが、それでも「誰よりもただ早くゴールを切りたい。早く走りたい。」という純粋な気持ちで始めたレースの世界を簡単に諦めることはできません。引退表明をしたものの、やはりレースへの強い情熱を抑えることができません。セナの妻はブラジルで生活したいことを強く主張したため、結果的にリリアンとは離婚することになりました。そして一旦ブラジルに戻りましたが、1982年に再びイギリスへと渡ってフォーミュラ・フォード2000に転向して見事チャンピオンに輝きました。

セナを名乗りF3へ

再びブラジルから活動の拠点をイギリスへ戻して、1983年にはイギリスF3に参戦していますがこの頃から私たちに馴染みが深い「アイルトン・セナ」と母親の姓のセナを表向き名乗るようになりました。以前は父親の姓「ダ・シルバ」を名乗っていましたが、F3に参戦したあたりから「アイルトン・セナ」となっています。

イギリスF3にアイルトン・セナは参戦しますが、見事な結果を出します。開幕戦からの9連勝という結果でした。後半戦になるとイングランド人レーサーのマーティン・ブランドルが猛烈な巻き返しをしてきたため、セナは一時逆転を許してしまいますが、最終戦のときにセナは見事に巻き返してチャンピオンとなりました。そしてイギリスF3の結果は、当時の最多記録となる20戦中で12勝利という結果を出しました。

マカオGPでは初めてF3規格で開催されたグランプリレースですが、セナはセオドールから参戦して見事にこのレースの覇者となっています。ちなみにマカオGPの予選でセナが出したタイムは、コースレーコードでそれから7年後にシューマッハとハッキネンが更新するまではセナのコードが最高タイムでした。

そして1988年に遂にF1テストにアイルトン・セナ、ステファン・ベロフそしてF3で激しい争いを展開したマーティン・ブランドルが呼ばれます。初めてF1マシンをドライブすることになりました。

セナ足

日本で「セナ足」といわれるセナのドライビングテクニックがあります。セナ足とは、コーナーでアクセルを小刻みに煽るドライビングテクニックのことです。このセナ足走行をすることで、コーナーへ侵入するときのマシンの安定性を向上させることになり、あまたコーナーから脱出するときにはエンジンが早い吹き上がりになるという効果があります。

セナ足のテクニックは、セナがレースカート時代に編み出したドライビングテクニックで、かなり小刻みでアクセルを煽るため、独自の回転数コントロールはターボのタービン回転を高く保つことにつながり、ターボラグの発生を抑えることに繋がります。レースカート時代にセナが編み出したこのドライビングテクニックは、それから下位のフォーミュラーはもとより、F1でのターボなどでも見られたテクニックです。

セナが「セナ足」といわれる前にも、「ケケ足」といわれるようケケ・ロズベルグも「セナ足」とよく似たドライビングテクニックを駆使していました。「ケケ足」はというと、アクセルをまさに小刻みに煽るテクニックですが、「セナ足」は小刻みというよりも痙攣に近い頻度の1秒の間に6回!というアクセルコントロールということが、テレトリーデータから分かるので「セナ足」よりも前のほうが「ケケ足」ドライビングテクニックですが、やっていることはとても似ていますが頻度が明らかに違うので、全く違うドライビングテクニックとされています。

そしてこの「セナ足」は常人では不可能なある意味まさに別次元の領域でのテクニックとされているため、「セナ足」のアクセルワークがノイズとしてコンピューターが識別してしまうほどの微細そして敏速だったことから、セナだけにしかありえないトラブルも発生しました。セナしかできない痙攣レベルでのセナ足のアクセルワークと、セナのテクニックで生じる問題の解決には、かなりホンダのF1エンジニアたちもトラブル解決のためにかなり苦心をしたようです。

セナ足を検証

セナにしかできないドライビングテクニックの「セナ足」を検証してみよう~!!ということで、セナのチームメイトでもあったプロストにベルガーも「セナ足」のドライビングテクニックをチャレンジしたこともあります。プロストにベルガーの検証では「セナ足の再現は不可能」という結論で、日本でも当時F3000級のプロのドライバーが「セナ足」を検証してみましたが、出した結論は「分からない」という結果でした。

コーナリングでセナにしかできない「セナ足」テクニックを使うことで、コーナー後のストレートのスピードでかなり大きな差が生まれます。そのため、同僚のプロストは「ホンダはセナにだけいいエンジンを与えているのでは??」と疑っていたほどです。なんでもテレメトリーのデータでは、セナとプロストの回転数はいつも100回転~300回転もの差がついていただけに、プロストがセナにだけ・・・と疑い目を向けてしまうのも納得できます。

「セナ足」テクニックを使うので、セナのマシンのほうが多少やはり燃費は悪くなってしまいますが、回転数にこんなに差がついているということはやはりストレートでの大きな差に繋がることを改めて感じます。エンジンを供給しているホンダの調査では、プロストとセナに回転数にかなりの差が付いていることについて、プロストはセナよりも早いタイミングでシフトアップをするから、プロストは高回転域を使いきれていな原因だとしています。

1989年第12戦のイタリアGPモンツァ・サーキットでのセナは、予選の時に高速になるレズモコーナーで、プロストよりもなんと1000回転も高い領域でホンダV10エンジンを使用していたことが分かっています。「セナ足」はセナにしかできないドライビングテクニックだからこその「セナ足」で、そして痙攣レベルでの頻度というのは常人のレベルではない領域ということもあるので、セナが【Genius】と呼ばれるのも別の次元でのテクニックを駆使していることからもわかります。

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