前年のチャンピオンチームであるウィリアムズ・ルノーへ、念願の移籍を果たす。しかし、新車FW16は前年までのウィリアムズの武器であったアクティブサスペンションやトラクションコントロールなどのハイテク技術がこの年のルール変更により禁止され、開幕直前まで完成を待たなければならず、当時のデザイナーであるエイドリアン・ニューウェイの指揮の元、空力を重視したマシンは非常にナーバスなマシンに仕上がっていた。
特にアクティブサスペンションはニューウェイの作りだすマシンの空力的に神経質な部分を補っていたため、その禁止はウィリアムズにとって大きな打撃となった。1994年第3戦サンマリノGP前にはセナはベルガーに、「ゲルハルト、マシンをドライブするなんてことはできないよ。マシンには空力的にドライブが難しい部分があったようだ。パフォーマンスは最悪で、まだ乗りこなせていない。」と語っている。
開幕戦ブラジルGPではPPからスタートするも、ピット作業でシューマッハに逆転され、追走中にスピンを喫しリタイヤ。第2戦パシフィックGPでも2戦連続のPPを獲得するも、スタート直後にハッキネンに追突されてリタイヤ。開幕2戦を消化した時点でのノーポイントは、デビュー以来初のことだった。
イモラ・サーキットのレイアウトとタンブレロコーナーの位置
迎えた第3戦サンマリノGPは、予選から重大事故が多発。まず予選1日目には、親密な間柄であった同胞のルーベンス・バリチェロが大クラッシュを起こし病院に搬送された。結果的には鼻骨を骨折という軽傷であったものの、一時は安否を心配されるほどの大きな事故であった。そして翌4月30日の予選2日目には、ヴィルヌーヴ・コーナーでクラッシュしたローランド・ラッツェンバーガーが死亡。グランプリ中の死亡事故は、F1では12年ぶりのことだった。
これら一連のアクシデントの中でセナは心理的に不安定な状態となり、電話で恋人アドリアーナに「走りたくない」と話していたことが後に語られている。ただし、夜には落ち着きを取り戻していたという。
セナは開幕から3戦連続のポールポジションから決勝をスタートし、1コーナーでも首位をキープしたが、後方での事故によりセーフティーカーが導入される。そして再スタートが切られた後の7周目(現地時間午後2時17分)に超高速・左コーナー「タンブレロ」において、時速312kmで走行中に、そのまま直進してコースアウトし、コース右脇のコンクリートウォールに激突(激突寸前、時速210km〜220kmまで急減速していた)、セナが駆るマシン・FW16は大破した。車載映像には、セナがシフトダウンしステアリングを左に切る映像が残っている。
セナはボローニャ大病院に緊急搬送されたが、現地時間午後6時3分には脳死状態に陥り、事故発生から約4時間後の午後6時40分に死亡した。享年34。